History

これまでの歩み

ハイモジモジ松岡

ハイモジモジ代表の松岡です。

私たちは2010年に産声を上げたメーカーです。オリジナルの文房具や雑貨を企画し、デザインから販売まで一貫して行っています。

そこで、これまでの10年に渡る歩みをふり返っていきたいと思います。けっこうな長文になりますが、どうぞ最後までお付き合いください。

まずは会社を始めたきっかけからお話しましょう。


「会社でも作れば?」


起業するには色んなパターンがあります。

もっともポピュラーなのは「何をやるか」が決まっている場合。ビジネスになりそうな商品やサービス(の種)があり、これから大きく育てていこうというときに会社を設立するのが一般的です。

すでに個人事業として始めていたものが好調で、税制面やその他で「会社にした方が何かと都合がいい」という場合にも会社は設立されます。こういうケースを「法人成り」といいます。

また「誰とやるか」から決めて設立される場合もあります。何をするかは決めていないけれど、一緒に何かをしたい仲間が集まって、まるでバンドを組むように設立されるパターン。面白法人カヤックさんの例が有名ですね。

あとは大企業の資本で設立されるベンチャー企業だったり、事業ごとに分社化された会社だったり、あるいは実態がないけれどお金の動きだけはあるペーパー・カンパニーというのもあるでしょう。

ハイモジモジはそのどれでもありません。2010年当時、フリーライターをやっていた私、松岡の「リハビリ」目的で設立された会社です。

2008年に海の向こうでリーマン・ショックが起こったとき、とても気持ちが落ち込んでいました。そんな折、当時会社勤めをしていた妻の松田(現ハイモジモジのデザイナー)が「会社でも作れば?」と声をかけたことがきっかけです。

やる気もなければ覇気もなく、加えて仕事もまったくない。そんなもぬけの殻のような夫を見るにみかねたようです。「やることがあったらそのうち元気になるんじゃないか」と願いを込めて。

つまり「何をやるか」も「誰とやるか」も決まっておらず、設立そのものが目的として立ち上げられた会社なのでした。


【参考】フリーランスはリーマンショックをどう生き延びたか





社名の由来は「はい、もしもし」


社名は「ハイモジモジ」としました。これは電話の「はい、もしもし」に由来しています。

会社というのは電話を受けるとき「はい、もしもし株式会社○○です」と言いますよね。会社が存続する限り、この文言を半永久的に口にし続けることになります。この状況を想像したとき、舌が疲れそうだし、飽きそうだから「省エネできないか」と思ったんです。

つまり「はい、もしもし」という応答の言葉と会社の名前が一緒だったら、声を出すコストを半分程度に圧縮できるのではないかという、ものぐさの発想で生まれた社名でした。というより「そういう名前の会社があったらいいな」と、もともと夢想していたのでした。

そして私はもともとフリーライターで、文字に関する企画を考える会社にしたい思いもあって、「もしもし」の部分を「文字文字(モジモジ)」としました。

こうして「株式会社ハイモジモジ」が誕生しました。

ただ、私は大学在学中からフリーライターをやっていましたので会社勤めの経験がありません。ですので企業の窓口のみなさんは「はい、もしもし」とは言わない、ってことを知らなかったんですけどね。

でも、それも含めてオチのつく笑い話になりまして、創業当時は名前を憶えてもらうのに役立ちました。何事も結果オーライです。





創業地は東京都国立市


創業の地は、当時住んでいた東京都国立市の自宅でした。

そもそも何をやるかも決まってなかった会社ですから、社員を雇うわけでもなく、どんな事業規模になるのかも自分で分かっていません。ですので、とりあえず自宅の一室を「オフィス」としました。



この部屋を自宅兼事務所としていたのは1年ほどでしたが、吹き抜けがあり、らせん階段で上の階に上がれる最高の部屋でした。家賃も高くなく、目の前に一橋大学のキャンパスが広がっていて、眺望も抜群でした。

ここから色んなドラマが始まりました。


株式会社ハイモジモジ誕生


2010年4月28日。晴れてハイモジモジを設立することができました。

法務局で登記が認められたのは5月の半ばでしたが、手続き完了した時点で「登記の申請日=会社設立日」となったのでした。

その登記が完了したのがたまたま自分の誕生日だったのですが、友達に報告すると「誕生日狙ってたでしょ」とつっこまれることに。いやいや、本当に偶然でした。

そしてまずはロゴを作りました。グラフィックデザイナーとして活躍していた松田にお願いしたところ、30分とかからずに作ってくれました。



現在のロゴと違って「J」の下がはみ出ていて、今にして思えばやや不格好でした。というのも「どうせ会社はそんなに続かないだろう」と思った彼女「適当に」作ったロゴだったからでした(本人談)。

続いて、名刺を作りました。



ハイモジモジの「モジ」には「文字」の意味を込めていますので、名刺のオモテ面を文字だけで構成してみました。現在の名刺はシンプルなデザインに変更してしまったのですが、実は当時のものが一番気に入ってます。





文字の企画を始めよう


さて、名刺はできましたが、これから何の事業をやっていきましょう。

もともとフリーライターでしたので「文字」に関する企画をやりたいということだけは決めていました。

そこでまず初めに考えたのは「実況タオル」という企画でした。スポーツの名場面の実況をテキストにしてプリントしたタオル。このタオルを使うたびに、あの感動の場面がよみがえる、そんなコンセプトでした。



当時、普及し始めたばかりのTwitterでラジオ局の社員さんのアカウントを見つけてDM(ダイレクトメッセージ)を送り、企画を直接売り込む機会をいただいたのですが、実況にも著作権の問題が絡むため、実現には至りませんでした。

その後もあれこれ企画を考えては、一緒に取り組んでくれそうな会社にコンタクトを取ったり、友達に相談したりしました。しかし、どれも形になりませんでした。

どうしよう。

そんなときに思い出したのが「LIST-IT(リストイット)」という商品でした。





文具メーカーとして出発


ある日、こんなアイデアを思いつきました。

つい手にメモ書きしてしまう習慣がある人に向けて、メモを書いた細長い紙をリストバンドのように手首に巻けるものがあったら、うっかりを防止できるしアクセサリーにもなりそうだし「一石二鳥じゃないか」と。

そこで近所の文房具屋さんで色画用紙を買い、ハサミで切って手作りしてみたことがあるんです。

そうして2008年だったか、東京ビッグサイトで年に2回開催される「デザイン・フェスタ」に出展してみたところ、10本100円セットが見事に完売。お客さんから「これ絶対に商品化したほうがいいよ」と、熱いラブコールを受けたこともありました。

「そうだ、あのリストイットを売ろう」
「ああいう商品を企画して売るメーカーになろう」


そこからハイモジモジは、文具メーカーとしての一歩を踏み出し始めます。

▲第一弾商品「LIST-IT」のアソートパック




当時、会社勤めをしていた松田が、日ごろからお付き合いのある印刷会社さんにお願いして生産してもらいました。今回は手作りではなく、型を起こして機械で断裁したもの。パッケージもきちんと作り込んでの本格スタートです。

袋への封入作業は松田に手伝ってもらって、自宅でふたりでやりました。

色ごとに紙で束ねて、少しずつ重なって見えるように袋に入れるのですが、これがまた大変で。作業が細かすぎて、1時間作業しては頭痛でダウン、また1時間作業しては頭痛でダウンする始末。なぜこんな仕様にしてしまったのか。



ともあれ、製品は完成しました。あとは取り扱ってくださるお店を探すだけ。





初めての営業と挫折


そこで100均で買ってきたプラケースに商品と資料を詰めあわせた「行商セット」をこしらえて、近所の文房具店に売り込みに出かけました。かつてリストイットを手作りするため画用紙を買った文房具店に、今度はこちらから紙製品を売りこみに行くという不思議。

人生初の訪問営業です。



「すみません、ちょっとお話聞いていただけませんか」

ちょっと待っててと言われ、店内で待つこと10分。運よく話を聞いていただけることに。

そこで行商セットとともに持参していた、当時発売されたばかりのiPad初号機をバッグから取り出しました。華麗に指でスライドしながら店員さんにプレゼンしたのですが、話題はすべて近未来のデバイスに持っていかれました。「おー、これがアイパッドってやつか」なんて調子で、売り込みたかった商品を全然見てもらえませんでした。

今度は場所を変えて、かつて住んでいた街の雑貨店を訪れることに。

以前、そのお店でよくお買いものをしていて、店員さんも顔なじみだったはずなのですが、どうやら思い込みだったようで。「新しく商品を作ったので取り扱っていただけないでしょうか」と声をかけても、商品には目もくれず「間に合ってます」と一蹴されてしました。

(その数年後、正式に取り扱っていただけることになるんですけどね)

もう1軒、また別の文具店を訪れたのですが、今度はようやく初めて商品を手に取ってみてもらえました。ところが、こんな言葉をいただきました。

「こういう風に直接お店に持ってこられても困るんです。私たちは問屋さんを通じて商品を仕入れてるので」

トンヤ、サン?

あの「そうは問屋が卸さない」の問屋さん? そうなんです、そのとき初めて、メーカーと小売店をつなぐ「問屋」の存在を知ることになったのでした。世間知らずもいいところです。

ろくに相手にされず、「下代」だとか「掛け率」だとか、よく分からない業界用語も飛び交って、しょんぼり帰宅。なにせそれまで「断られる」という経験をしたことがない人生です。ひどく落ち込んでしまいました。

「あかん、営業に向いてない」





Twitter営業をスタート


そこで発想を切り替えました。仮に3軒まわった営業がすべて上手くいったとしても、社員が自分ひとりなのだから、同じやり方で全国をまわるのは難しい。これは別のやり方を模索する必要がある、と。

そうして目をつけたのがTwitterでした。

2010年当時、まだまだ一般化していなかったSNSのひとつで、あのころはミニブログなんて呼ばれていましたっけ。こちらからフォローすれば必ずフォローを返してもらえる、そんな牧歌的なムードがあった頃です。

そこでプロフィールに「文房具」と入れているアカウントを片っ端からフォローしていく「Twitter営業」を開始したのです。

まずはネットでの存在感を高めていくのが狙いでした。

▲同時にウェブサイトもオープン




そして1,000件ほどフォローしていった人の中に、なんとたまたま文具や雑貨を扱う「問屋さん」がいらっしゃったのです。そして、ウェブサイトに掲載していた番号に電話がかかってきたのです。





初めて出会った問屋さん


「このリストイットって商品、面白いすね。今から会いに行っていいすか」

かなりフランクな口調の男性でした。声から察するに、おそらく年齢的にも近い世代。でも、いきなり会いに行くと言われても、こちらの「オフィス」は自宅だし、いきなり見ず知らずの人を家にあげるのは抵抗がありました。

そこで、駅前の喫茶店で落ち合うことになりました。

その男性は目新しいもの、これから流行りそうなものを見つけるのが得意な方で、リストイットの現物を見るなり「うちで扱わせてもらいますわ」と一言。あっさり商談がまとまりました。ほんまかいな。

その間、趣味で鍛えたウェブ制作のスキルを活かしてオンラインショップを自前でこしらえ、お客さんに商品を送る封筒にあわせてオリジナルスタンプを作ったりして時間を過ごしました。





ネットで3つほど商品が売れましたが、その後は鳴かず飛ばず。

どうしたものかなあと頭を抱えながら、その日は在宅勤務していた松田と駅前のルノアールに行きました。のんびりコーヒーを飲んでいたところ、先日お会いした問屋さんから電話がかかってきました。

「導入、決まりましたよー」

えっ?

「夏に京都で、ロフトが新店をオープンするんすわ。そこで販売することになりましたから」

暑さも本番の2010年8月。京都を訪れました。





本当に商品が並んでいました。

夫婦ふたりで企画し、デザインし、頭痛になりながら封入作業を行ったあのわが子のような商品が、親しみのあるあのロフトさんの店頭で販売されていたのです。

嗚呼、生きててよかった。



ロフトでデビューしたものの


デビュー作「リストイット」はこうして華々しいデビューを飾りました。が、売れ行きはいまひとつ。

今でこそアイデア文具のコーナーは盛況ですが、2010年当時の文具フロアは控えめだった記憶があります。実際、リストイットも文具コーナーに導入されたわけではありませんでした。

商品が導入されても、売れなければ意味がありません。しかも「上代(=販売価格)」と「下代(=卸価格)」の違いもよく分かっておらず、製造原価に自分たちの利益を少し乗せただけの価格設定にしていたため、問屋さんに卸せば卸すほど赤字になる始末

一方、オンラインでの直販もほとんど動きなし。せっかく開設した電話やFAXが鳴ることもありません。途方に暮れてしまいました。

仕方がないので自宅の目の前に広がる一橋大学のキャンパスで松田とふたり、ひたすらバドミントンをしていたこともありました。運動不足解消といえば聞こえがいいですが、ただの暇つぶしです。

一応、日中は営業時間ですので、家から電波がぎりぎり届くコードレス電話を持ち出しては、問い合わせや営業の電話がかかってくるのを待っていましたが、うんともすんとも鳴りませんでした。

そんな中、印刷会社さんから「リストイットの製造過程で廃棄される紙がある」と聞き、ただの捨てるのはしのびないということで、端紙を再利用したカラフルなブロックメモを作ったりもしました(ネット限定 / 現在は完売)。



いやはや、会社というのはどうすれば軌道に乗るのでしょう。

1店舗とはいえ超大手のロフトさんで取り扱われても全然売れず、ネットショップも伸び悩み。創業する前のように、ふたたびベッドに寝転がる日々が続きました。何の解決策も浮かばず、ただただ落ち込んでいました。

その姿を見て「この人はダメだ」と感じた松田が、何やら動き始めます。





ヒット商品の誕生


業務委託契約で週に数日だけ会社勤務していた彼女は、デスクに不在の同僚に「取引先から電話がありました」といった伝言を伝えるのに苦労していたことを思い出します。

相手のデスクにメモを置いても書類で埋もれる、パソコンのモニターに付箋を貼っても剥がれてどこかにいってしまう。そこでキーボードのすき間にメモを立てて目立たせてみたときのことを思い出し、何か商品にできないものかと試作を始めます。

そうして生まれたのが、パソコンのキーボードに立てて伝える伝言メモ「Deng On(デングオン)」でした。



きっかけは、デスクに顎を乗せてくつろいでいたときでした。パソコンのキーボードが、まるでビルが林立する都市のように見え、ここをステージにして戦うウルトラマンと怪獣の形をした伝言メモがあったら面白いなと着想。しかしウルトマランを商品化の権利を得る方がまったくわからず、断念した経緯がありました。

そこで「著作権のない動物を使えば?」と問屋さんからアドバイスをもらい、試しにネコのシルエットでデザインしてみます。これが案外いい感じで、ポーズ違いで4種類ほどできたので、それらをまとめたアソートパックを商品化する方向で話が進みます。

しかし私は思ったのです。

4種類をまとめて買えてしまったら、お客さんとの接点は一度しか生まれない。それよりネコに限らず色んな種類の動物をつくり、たくさんある中から選んでもらえるようにすればいいんじゃないか。種類を豊富にしておけば、気に入ったらまた手にとってもらえる機会につながるんじゃないか、と。

そうしてペンギンやウサギ、ブタやキリン、シロクマといった動物たちを単品パックにして販売することにしました。



リストイットに続く第2弾、「Deng On」の完成に手ごたえを感じたデザイナーの松田は、私にこう告げます。

「今の会社、辞めるわ。こっちの方が面白そうだから」

まだ売り上げがほとんど立っていない、創業間もない零細ベンチャーにジョインする勇気。ここからハイモジモジは2人体制になります。2010年秋のころでした。





初めての展示会


もう家でじっとしていてもしょうがない。この新商品を引っさげて、世の中に出ていくのだ。

強い決意のもと、私たちは展示会への出展を決めます。池袋はサンシャインシティの展示ホールで開催された「プレミアム・インセンティブショー」に出展し、自ら取引先をつかみにいくことにしました。







この「プレミアム・インセンティブショー」は販促関係の展示会で、イベント等で配布されるノベルティーを製造する会社と、ネタを探している会社がマッチングする場。

私たちはそのころ、資本金が底を尽きかけていて、もう後がありませんでした。「Deng On」の特許を取得する費用に使うか、展示会の出展費に使うかの2択にしぼり、後者を選んだくらいお金がありませんでした。

小売店のひとつふたつに導入が決まるくらいでは会社がつぶれる。もっと大きな売上を立てなければ。そう考えて、小売は一旦あきらめ、大量受注が見込めるノベルティー商品としての活路を見出すことにしたのです。

余談ですが、このとき「Deng On」の知的財産権を押さえられなかった代償として数多くの模倣品、類似品を許すことになります)

そして来場者の中に、東急ハンズとの取引をメインにしている問屋さんがいらっしゃり、「ぜひハンズさんに紹介したい」「すぐに見積もりをくれ」と熱いラブコールをいただいて、話がトントン拍子に進みました。

狙っていたノベルティーの受注にはつながらなかったのですが、結果的に「東急ハンズとのパイプ」をつかむことができたのでした。





「すごい文房具」の刊行


しかも「プレミアム・インセンティブショー」が開催と同じタイミングで、ある歴史的な雑誌が出版されます。KKベストセラーズから刊行された「すごい文房具」です。



それまで文房具というのは大手企業を中心に、社員に「支給」されるものでした。ところが、かのリーマン・ショックが起こり、企業は経済的に大きな打撃を受けます。そこで文房具の支給を取りやめ、自分で使う文房具は自分で用意するという時代の流れが起きます。

その流れの中で、様々なアイデア文具が生まれ始めており、それらをピックアップした「文房具だけの雑誌」という当時としては尖った雑誌でした。

そして、その誌面にハイモジモジの「リストイット」も加えてもらい、初のメディア・デビューを飾ることができました。リーマン・ショックからの流れは想定していなかった、ただのビギナーズ・ラックだったんですけどね。





「売れることは分かってる」


そして後日、展示会で知り合った問屋さんの仲介で、当時は渋谷にあった東急ハンズ本部に足を運びました。

私は出来上がったばかりの新商品「Deng On」を本部バイヤーにお見せし、反応をうかがいます。「こんなの全然面白くない」「よくあるアイデアだ」なんてあしらわれる可能性も頭に入れながら、商品の特長を必死に説明しました。

するとバイヤーさんは、こう言いました。

「これが売れることは分かってる」

うちで取り扱うか、取り扱わないかはじゃない。この商品は絶対に売れる。問題はそれを私たちがいつから販売できるかということです、と。

こんなにシビれる言葉があるでしょうか。

この日からハイモジモジは本格的に「Deng On」の量産体制に入ります。印刷会社を通じてレーザーカットの職人さんに加工をお願いし、内職の方々が本体と台紙をアセンブル(封入)してくれ、商品がたくさんでき上がっていきました。

そして東急ハンズ全店への導入がスタート。



あわせて「LIST-IT」も従来のアソートパックをやめ、単色パックにリニューアル。商品の種類を増やし、お店の「面」を取る作戦に出ます。全国の東急ハンズで「Deng On」と「LIST-IT」がずらっと並んだ「ハイモジモジのコーナー」が展開されました。

メディアでもどんどん取り上げられていきます。雑誌、新聞、テレビ、ラジオ、そしてネット。5大メディアを総なめしていきます。

在庫もあっという間にはけていきます。工場から仕上がった商品がその日のうちに売れ、毎日1,000個以上出荷する日々が続きました。当然、生産が追いつかなくなります。

東急ハンズのような大手雑貨チェーンでは在庫を切らすことはご法度。お願いしている工場だけでは追いつかないと判断し、封入作業を自分たちでもやることに。それでも間に合わず、友達にもアルバイトに来てもらって、みんなでせっせと内職しました。

梱包作業もバタバタ。ヤマト運輸のドライバーさんが17時に来るまでに、その日の注文分を用意できないと問屋さんに叱られてますから、大汗をかきながら息を切らして必死に商品をつめこみます。ヤマトさんがダンボールを抱えてトラックに乗せたころには、ほとんど気絶寸前で倒れ込む毎日でした。

こうしてハイモジモジ1期目は序盤から中盤にかけてほとんど売上げもなく、時間を持て余し、のほほんとしていたのですが、「Deng On」を開発したことと東急ハンズ全店に導入されたことで状況が一変。ロフトでも全国の店舗で取り扱われ始めました。


▲2011年の年始に作った年賀状




そんな怒涛の1年目がもうすぐ幕を閉じようとしていたときでした。

あの東日本大震災が起こったのは。


東日本大震災が発生


2011年3月11日に発生した東日本大震災は、日本全体に大きなダメージを与えました。

私たちハイモジモジのオフィスは東京都国立市にありましたが、直接的な被害を被ったわけではありません。けれども、その影響はいろんなところで出ていました。

一番大きかったのは物流です。同じ都内であっても荷物を届けるのに1週間ほどかかるケースや、予定通りに届けられる保障がないため着日指定のある荷物を受けつけられなかったりもしました。

ある個人のお客さまで、私たちの「Deng On」を結婚式のプチギフトとして参列者に配りたいということで、震災前にたくさん購入してくださった方がいました。お届け予定日は3月の後半で、まだまだ情勢が落ち着いていなかったころです。



そんな中でも結婚式を挙げる決意をしたと連絡があり、どうしてもギフトを間に合わせてほしいという連絡がありました。そこでお届け予定日の1週間前に運送会社のドライバーさんに事情を説明したところ、必ず届けられるとは言い難い状況だと言われました。

それでも届けてもらえることを信じて、配達をお願いしました。結婚式の会場は日比谷の帝国ホテルでしたから、国立から電車で約1時間半。もしも預けた荷物が期日に間に合わない場合は、もう1セット同じものを用意して、結婚式当日に自分で届けるつもりでした。

社会が混乱している中でも挙式する決意と熱意に応えたいと思いましたし、何より人様の一世一代の晴れ舞台に私たちの商品がお役に立てることがうれしくて、今でもこのときのことを覚えています。





相次ぐメディアの援護射撃


東北地方はもちろん、首都圏にも大きな影を落とした大震災。食料の買い占めが起こったり、計画停電が実施されたりと、非常時であることを強く意識させられた時期でした。ある電気が止められた夜、自宅のリビングで懐中電灯を照らし、ラジオで天皇陛下(現上皇)のお言葉に励まされたことが記憶に新しいところです。

さて、そんな混乱期にあっても商品の売れ行きは絶好調でした。というのも、メディアの援護射撃が相次いだからです。

とくに反響が大きかったのはテレビ朝日系列の『雑学王』。爆笑問題の司会で、5名の芸人さんが回答する深夜の人気クイズ番組でした。



しかもただの商品紹介ではなく「これはどういう風に使う商品でしょうか?」と問いかけるクイズ形式でしたから、視聴者の関心もぐんぐん高まっていきます。

そうして放送終了後はオンラインショップにアクセスが殺到し、数秒おきに注文が入る状態でした。クイズの出題と回答でCMをまたいだところも、大きな関心を寄せる結果につながりました。

もちろん、問屋さんや小売店さんからの注文も殺到。ますます在庫が足りない日々が続きます。




毎週、何かしらのメディアで取り上げられる中、一風変わっていたのは台湾最大の語学学校「地球村」の日本語教材で「Deng On」と「LIST-IT」が取り上げられたことでした。

上野のパンダだったり、天候皇后両陛下のことだったりと日本を代表するトピックが、ふりがな付きのかんたんな日本語で紹介される中、なぜが創業わずか1年の零細メーカーが同じ冊子のなかで並ぶという奇跡。

最近、台湾を訪れたとき、たまたまこの学校の広告看板を見つけ、とても懐かしい気持ちになりました。





▲写真は2019年11月のもの





事務所を吉祥寺に移転


とにかく2期目の前半は、ありがたいことに商品の出荷にかかりきりでした。取引先もどんどん増えて、受発注をくり返しては目まぐるしく荷物を出荷する毎日。「Deng On」の種類を増やしたり、ノベルティー制作の依頼に応えたりはしていましたが、新商品を開発する余裕はまったくありませんでした。

会社の業績はうなぎのぼり。一方、個人としての生活は「震災」と「激務」で疲弊していました。

とくに松田(ハイモジモジのデザイナー兼妻)が「ちゃんと寝られない」と言ったのには驚かされました。

まだ震災の余震が残っていた時期で、地震速報のアラーム聞くのもストレス。当時入居していた自宅兼事務所の壁にひびが入ったことも輪をかけて、安眠できない日々が続いていたようなのです。そこに気づいてあげられてなかった。

そこで私たちは事務所を移転することに決めました。

家庭と仕事を建物でわけ、個人と法人の区別をはっきりさせて、より会社らしくあろうとしました。そしていくつか物件を探した中で、吉祥寺のマンションの一室に巡り合います。

まずはそちらを事務所として借り、国立の自宅から毎朝通いながら、住居としての物件も吉祥寺近辺で探しました。なかなかこれという部屋が見つからず、激務と人生初の通勤でひどく疲れてしまい、胃潰瘍になったりもしました。

そんなとき、事務所のとなりの部屋に空きが出たことを知り、すぐに入居を決めました。結局、壁を一枚隔てるだけで、事実上の自宅兼事務所。

ともあれ、2011年の夏。ハイモジモジは吉祥寺を拠点に、ますます活動に脂を乗せていきます。







看板ネコのニーポン誕生


2011年の夏を過ぎたころ。

吉祥寺に新しい事務所を構えたハイモジモジに、仲間がひとり増えました。いえ、ひとりではなく一匹の猫でした。


▲わが社にやってきたばかりのころ




名前はニーポンと名づけました。

私たちは創業当初から「Kneepon from Nippon!」(ニーポン・フロム・ニッポンと読みます)というスローガンを掲げ、思わず膝(Knee)をポン(pon)と打つアイデア商品を発信していこうと決めたのですが、その造語である「Kneepon」を彼に授けました。

実際、彼は仕事に疲れた私たちを癒してくれるだけでなく、ビジネス面においても八面六臂の活躍を見せてくれるのですが、それはまた少し先の話。





「Memmoch」発売


季節は秋になり、昨年11月の「Deng On」以来となる新商品「Memooch(メモーチ)」をリリースしました。



これはリボンの形をしたトレーシングペーパーのメモです。土台部分のウッドブローチにリフィルを付け替えることで何度でも利用でき、洋服にあわせてコーディネートできる、メモでありブローチでもあるというコンセプト。

デビュー作の「LIST-IT」もリストバンドのように身につけられる文具であったことから、その流れを汲んだ「Wearable Stationery」シリーズと位置づけ、まずは6柄からスタートしました。


▲採用するカラーを選んでいる様子




半透明のトレペ30枚を重ねることで鮮やかな色合いが出せるよう、何パターンもの柄やカラーをデザインしました。切りはなされたメモの1枚1枚は半透明なのですが、それらを重ねることで色や柄が美しく見えるようデザインしました。

リフィルは別売りで、ウッドブローチとのセットは1,200円(税抜)。この価格は雑貨チェーンの文具フロアで扱うには「高い」と言われ、逆にアパレル関係の方からは「うちで扱うには値段が安すぎる」と指摘されるなど、同じ商品なのに業種によって受け止められ方が異なるという面白い体験をしました。





LIST-ITの100枚パック発売


続いて「LIST-IT」の新装版「LIST-IT 100」をリリース。

持ち運び可能なケースに10色が10枚ずつアソートされ、どこへでも携帯できるようリニューアルしました。以降、単色20枚入りとアソート100枚入りの2段構えで、全国に展開されていきます。



伊東屋でポップアップ


東京は二子玉川の伊東屋玉川店さんから「ポップアップショップをやりませんか」と、お声がけをいただきました。週末は店頭にも立たせていただき、百貨店で接客するという初めての経験をさせてもらいました。







Deng On デザインコンテスト開催


そして迎えた11月3日。

この日は「文具の日」であり、私たちの「Deng On」発売1周年記念日でもありました。そこで私たちは一般の方にオリジナルデザインを応募してもらう「Deng On」のデザインコンテスト開催を発表しました。

商品名と併記していた「MESSAGE ON THE KEYBOARD」というキャッチコピーの「MESSAGE」の部分を「YOURS」とし、キーボードに立てるメモを自由にデザインしてみましょう、というお題です。

最優秀賞には賞金10万円と商品化が約束され、特設サイトと雑誌「公募ガイド」を通じて募集しました。

▲英語版の募集ページ




海外の方も参加できるよう英語版も用意したのですが、なんとフランスや韓国、イスラエルの方からも応募がありました。集まった作品は総計1,663点。

手書きのラフでもOKというゆるめの条件にしたことで、中には中学校の美術の授業で取り組んでくださったところもありました。生徒の数だけデザインされた作品群をどっさり郵送していただきましたね。応募の締めきり日が近づくにつれ、事務所のポストが毎日パンパンに膨らんでいたことを思い出します。

そうして最優秀賞に選ばれたのは、こちらの作品でした。



手をつなげるオリジナル・キャラクターという着眼点がとても面白く、のちに「デング―&オーン」というキャラクターで実際に商品化されました。(現在は販売終了)

また、最優秀賞には惜しくも届かなかったのですが、あまりに作品のクオリティーが高かったために、こちらからコンタクトを取って商品化を打診した作品もありました。



のちに「Deng On 古都」と名づけられ、現在も単品での販売が続けられています。(桐箱入りのセットは完売)





Memooch 冬バージョン発売


冬には「Memooch」の冬バージョンを一挙に12柄も発売しました。既存の6柄とあわせて計18柄。ウォールナット製のウッドブローチを単品販売するなど攻勢をかけます。

さらにプロのカメラマンとモデルを手配し、ヘアメイクとスタイリストにも参加してもらって、スタジオ撮影も行いました。





これまで見たことのないモノをつくること。それらの見せ方を工夫して、世の中に放つこと。そして賛同くださるユーザーに手に取って購入していただくこと。

この喜びと楽しさに完全にハマってしまいました。

こうして勢いに乗ったハイモジモジは3期目を迎え、怒涛の商品開発にのめり込んでいきます。


「RING-IT」発売


怒涛の製品開発ラッシュを迎える3期目。春から、いきなり新商品が登場します。こちら、指輪の形をした付箋「RING-IT」です。



「LIST-IT」「Memooch」に続く「Wearable Stationery」シリーズの一環で、今度は指に装着できる付箋を開発しました。

見た目のかわいらしさを追求したのはもちろん、リングの下部に切りこみがあり、上に引っ張りあげると1枚ずつ剥がせる仕様になっていて、指にはめたままでも使える機能性も求めたプロダクト。

これまで紙モノが続いてきたのですが、初めて別素材(PET)で、しかも初の国外生産というチャレンジでした。

メディアの注目度も高く、売れ行きも好調だったのですが、開発にはとても苦労しました。指示通りに仕上がらなくて、初回に作った9,000個をすべて作り直したり、工場に横流しされてしまったりと、外国とビジネスをする難しさを痛感させられましたね。





コムサとコラボ


企業とのコラボレーションも活発化してきました。

関係者のみに配布されるノベルティー制作を水面下で行っていたのですが(例:JAXA版「Deng On」など)、正式にダブルネームで新商品を開発する機会もありました。

中でも「COMME CA ISM(コムサイズム)」と「Memooch」のコラボは大がかりなものになりました。母の日、父の日の2度に渡ってキャンペーンが展開され、全国に広がっていきました。


▲カーネーションをあしらった母の日企画


▲ネクタイとセット販売された父の日企画





ラフォーレでポップアップ


5月にはラフォーレ原宿地下1Fの店舗(現在は閉店)からもお声がかかり、ハイモジモジの商品だけで埋め尽くされるポップアップ・ショップも展開されました。





「Memooch」をつけるとネズミやネコがリボンをつけているように見える「Memooch T」もこの日のために企画・デザインしましたね。





ズーラシアとコラボ


夏には横浜の人気動物園「ズーラシア」ともコラボ。

看板動物であるオカピや、逆立ちでおしっこするところがかわいくて「個人的に作らせてほしい」と逆提案したヤブイヌの「Deng On」をデザインしました。

現在は完売してしまいましたが、園内のミュージアムショップで限定販売されました。





「Pocken'Pocke」発売


さらにさらに、オリジナル企画の新商品「Pocke'n Pocke(ポッケンポッケ)」を発売します。

ジャケットの胸ポケットに入れて、スマートに取り出せる名刺ケースで、マグネットで固定できる画期的な商品でした。

イタリアの本革を使ったもので、革製品にトライしたのはこれが初めて。さらには実用新案権も初めて取得しました。

価格は8,000円とそこそこ高価ながらも全数を完売し、たくさんの方に支持していていただきました。



と、今にして思うと開発ペースが早すぎて、よくぞこの短期間であれこれリリースできたなと驚きます。

▲秋のギフトショーに出展したときの様子





グッドデザイン賞受賞


10月1日。ハイモジモジ史上初めて「グッドデザイン賞」を受賞することができました。

ひそかに応募していたのですが、書類審査と東京ビッグサイトで行われた2次審査を経て受賞できることが事前に知らされ、晴れて10月1日に公表することができました。

受賞作品はキーボードに立てる伝言メモ「Deng On」です。

▲受賞展のブース




審査員からは、こんなコメントをいただきました。

「キーボードのスキ間に挟んで使う伝言メモ」という使用シーンが明確化されているコンセプトが評価できる。動物たちや柵、樹木など多彩な色やかたちがあるため、殺風景になりがちなキーボードの周辺環境を牧場のような楽しいジオラマに彩ることができる。

【参考】2012年度グッドデザイン賞受賞:伝言メモ用紙 [デングオン]



とくに嬉しかったのが、たくさんの方にお祝いの言葉をもらったこと。友人はもちろん、日頃からハイモジモジを応援してくださっている方々から嬉しいメッセージをたくさんいただきました。その節は本当にありがとうございました。

▲内々でささやかなお祝いもしました





日経MJで特集記事が掲載


10月10日発行の日経MJでは、ハイモジモジの特集を組んでいただきました。ビジネスマンはみな読んでいる(?)といっても過言ではない著名な専門紙で取り上げられたことは、大いに励みになりました。





ピンクリボンプロジェクトに参加


10月はトピックがてんこもり。乳がん検診の早期受診を推進する青森ピンクリボンプロジェクトさんからお声がかかり、腕に巻くメモ「LIST-IT」のピンクリボン・バージョンを作ることになりました。





実は「LIST-IT」には苦い思い出がひとつあります。

東日本大震災が起こった直後、ある社会福祉法人の方から「東北に寄贈して、参加者に願いを書いてもらって、お焚き上げをしたい」という声がかかったんです。事が事でしたから、自分たちなりに貢献したいと思い、自分たちの利益は見込まず原価のみで提供したんですね。

ところが、それが実際に東北で使われたかどうかの報告がなく、不思議に思ってコンタクトを取ってみたのですが、連絡が取れなくなってまして。とうとう原価分の支払いさえされず、逃げられてしまいました。

何か事情があったのかもしれませんが、なんだか善意につけこまれた気がして、当時はとてもつらい思いをしました。せめて被災地で何かしらの役に立ってくれていたらと思わずにいられません。

そんな過去があったので、この青森リボンプロジェクトを通じて社会的な活動の一助となれたこと、とても嬉しく感じましたね。





「Deng On」ウルトラマン版発売


さらに嬉しいことが続きます。

「Deng On」ウルトラマン・バージョンがリリースされたのです。



もともとパソコンのキーボードを都会のビルに見立てて「ヒーローと怪獣が戦っているように見える伝言メモ」として開発していたものの、ウルトラマンの商品化権を得る方法が分からず、動物のメモとして発売した経緯がありました。

そうして迎えた、本物のウルトラマン・バージョン。初代ウルトラマンのオープニングのタイトルバックに流れていたシルエットを活かしたデザインになっています。

発売後、根強いファンに買っていただき、見事に完売となりました。





「Pict In」発売


10月後半には、お気に入りの写真を入れてメッセージカードになる「Pict In(ピクトイン)」をリリースしました。

メッセージを書きこんで、パッケージに同梱された封筒で郵送でき、受け取った人はカードを立てて飾れるという代物です。





写真データを送ってもらって、私たちがメッセージを代筆し、届けたい人に郵送する「Pict In Mail」というサービスも展開したのですが、こちらはいまいち軌道に乗せることができませんでした。

当時、もっとスマートフォンが普及し、アプリで簡単に注文できる仕組みがあったら、もう少し利用してもらえたかもしれません。





吉祥寺PARCOで期間限定ショップ


11月には「吉祥寺PARCO」で期間限定ショップをやらせてもらいました。

いつもひとりの客として利用させてもらっていた身近なPARCOで、自分たちのショップをやらせてもらうという喜び。アルバイトにも数名応募があり、基本的にはお任せすればよかったのですが、なんだかうれしくて自分のシフトじゃない日も現場を見にいっていましたね。







「Jalousy」発売


12月には、いつでもどこでも猫をじゃらせるモバイル猫じゃらし「Jalousy(ジャラシー)」をリリース。

自分たちで猫を飼い始めて、いろんな猫じゃらしを試したのですが、「もっとこういうものが欲しい」という欲が出て、デザインした商品です。





自分たちが生活していて、欲しいものがあり、お店やネットで探してみても、それらしいものが見当たらない。「だったら自分たちで作っちゃおう」という姿勢で私たちはモノづくりをしているのですが、この「Jalousy」は最たるものだと思います。





「excuse case」発売


年が明けて2013年の2月。オリジナルのiPhoneケースを発売しました。

iPhoneケースを製造できる業者さんを紹介してもらい、何か面白い企画ができないかと考えていたところ、ふとお風呂上がりにこんなアイデアをひらめきました。



iPhoneに限らずスマートフォンのケース(カバー)というのは、自分には見えないわけです。背面にかぶせるものだから、見えるのは自分の向こうにいる相手。

だから向かい合っている人向けのメッセージが書かれていたら面白いのではないかと思い、10種類ほどデザインしました。





個人的には「最高に面白い!」とテンションが上がっていたのですが、iPhoneケースを販売する競合が多くて、あまり売れませんでした。

やはり製品自体の企画からオリジナルで発想するのが自分たちの強みだなと再認識しましたね。





沖縄美ら海水族館とコラボ


「Deng On」が、美ら海水族館ともコラボ。

ジンベエザメ、マンタ、バンドウイルカ、ウミガメの4種類をデザインし、館内ミュージアムショップ限定で販売されました。(現在は完売)

沖縄旅行に行った友達が「置いてあったよー」と写真付きで送ってくれるのが嬉しかったです。自分で現地を見にいったときも感動しましたね。


「Deng On MOOMIN」発売


4月。

キーボードに立てられる伝言メモ 「Deng On」のムーミン版をリリースしました。



実はこの時期、社内で意見の相違がありました。

弊社デザイナーは「作ったときがピーク」の人。自分の納得いくものが完成すれば、それ以後は「過去に作ったもの」に執着しません。

なので2011年から販売を続け、2014年当時も会社の売上げの半分以上を構成していた「Deng On」シリーズについても、さっさと廃番にしたがっていました。「Deng Onにばかり頼るんじゃねえ」「同じ商品ばっかり売ってんじゃねえ」というロックなスタンスです。

そうはいっても会社に安定的な利益がなければ新商品の開発費もまかなえません。

そうした意見の対立がある中で「キャラクターものに手を出す」という安易な手法に、なかなか会社として踏み出せないでいました(ウルトラマン版は例外として取り組みましたが)。

しかし「Deng On」に使用しているファーストビンテージという特殊紙が持つ風合いと、ムーミンが醸し出すフィンランドの雰囲気が絶妙にマッチすることに気づき、ムーミン版は「きっとみんなに喜んでもらえる」「やる意味がある」「むしろデザインしたい!」と意見が一致。

ビジネス的にも大きく貢献してくれ、大成功でした。

社内における葛藤は「自分たちは何のために活動しているのか」をふり返るきっかけになりますね。





新作発表会に初チャレンジ


この「Deng On MOOMIN」のリリースに先駆け、新作発表会をやるという試みにもチャレンジしました。





幡ヶ谷の「7CAFE」という素敵なカフェをお借りして、取引先やプレス関係者、そして一般ユーザーのみなさんにも会場を開放し、自由に新作を手にとっていただきました。





井の頭公園の近くに移転


5月。事務所を現在の場所に移転しました。

吉祥寺の井の頭公園にほど近く、とても静かな環境が気に入って、その後もずっとここを拠点に活動しています。





香港の書籍に取り上げられる


6月。

香港のクリエイティブ・スタジオ「AllRightsReserved」が出版した「GRAPHIC CANDY」という書籍で、「Deng On」や「RING-IT」といった商品が取り上げられました。

ユニークなデザインワークがふんだんに詰め込まれた本で、デザイン関係の方なら手にした方も少なくないのではないでしょうか。





繊研新聞(英字版)で紹介


7月。日本でも著名な業界紙「繊研新聞」の英字版に取り上げられました。ハイモジモジに限らず、日本の「BUNGU」が今アツい、という特集でした。

以降、海外絡みの案件が増えていきます。





ムーミンの新作リリース


同じく7月。

「Deng On MOOMIN」が絶好調で、さらに種類を増やすことになりました。

以前はムーミン、スナフキン、ミイ」と主要キャラをメインにリリースしたのですが、第2弾はスティンキーやフィリフヨンカといったキャラにも手を伸ばしました。



実はムーミンの原画資料は膨大な数があり、その中から「商品として映えるもの」で「キャラクターのらしさが表現されているポーズ」を探すのは本当に大変な作業でした。

ときに原作を読みこんだりして、ひとつひとつをデザインするのに気の遠くなる時間と労力をかけました。その情熱がファンにも伝わっていたらうれしいです。

8月には毎年行われている「ムーミンの日」というイベントにも呼んでいただき、ムーミンファンの方々と交流できる機会にも恵まれました。

むかしから愛されているキャラクターなので来場者は年配の方が多いかと思いきや、若い方もたくさん来られていたのが印象的でしたね。





「LABO MOJIMOJI」を設立


8月。

会社設立以来、初めて「設備投資」をしました。

カッティング・プロッターといって、イラストレーターで作成したデータを読み込んで、自動的にカットしてくれるマシンです。5年間のリース契約でしたが、クルマが1台買えるほどの金額だったので、当時としては思いきりました。

そこで、このマシンを使ってどんなことができるかと考え、さまざまなアイデアを試作してみる「LABO MOJIMOJI」という機関を社内に設立しました。

商品化に至らなかったものがほとんどですが、とにかくいろんなアイデアを試しました。


▲モビールを作ってみたり



▲「Deng On」をアソートパックにしてみたり



▲革をカットして本のしおりを作ってみたり



▲メッセージカードを作ってみたり




▲「Deng On MOOMIN」のコレクションブックを作ったり




その中のひとつに「DESKSIDE AVENUE」というアイデアがありました。



屋根をあけて小物を入れられるお家のかたちの箱で、この中にチョコや飴を入れて、仕事に疲れた同僚にプチギフトとしてあげる、といったシチュエーションを想像しました。

試験販売的にリリースしたのですが、導入したカッティング・プロッターは量産には向いていない(ひとつ作るのに時間がかる)ことが分かり、一旦販売を中止していました。

その後、2019年に突如としてよみがえり、再度 「DESKSIDE AVENUE」の名を冠して、満を持してリリースされました。



もうマシンは手放してしまいましたし、「LABO MOJIMOJI」も解散してしまったのですが、当時のトライは無駄ではなかったなと思いますね。





「Deng On DINOSAUR」発売


10月。

パソコンのキーボードに立てる伝言メモ「Deng On」の恐竜版をリリースしました。



この商品、ちょっと面白い売り方にトライしました。特別につくった「化石バージョン」を20枚綴りのメモの中に1枚、ランダムで潜りこませたのです。つまり「アタリ」の出る文具。

ちょっとラッキーな気持ちになってもらえたらと考えたのですが、当選確率は10%くらいで、ちょっとシビアすぎたかも。

▲化石1枚でもちゃんと自立します





インテリアライフスタイル展に出展


11月。

東京ビッグサイトで開催された「interiorlifstyle living 2013」に出展しました。



同展ではすでに販売中のアイテムから試作中のものまで、あれこれ出品したのですが、中でも写真右手に見える建物風のモノは翌月にリリースされる目玉商品でした(後述)。

ちなみに私、松岡がシルクハットをかぶっているのは「アムステルダムにあるアパートの管理人」をイメージしたからなのです。冷静に考えると、なぜ管理人がシルクハットなのか謎ではあります。





「HAT APARTMENT」発売


私たちハイモジモジのふたりは無類の帽子好きなのですが、困るのは収納する場所です。かさばるし、重ねると型崩れするし、無造作に放置しちゃうと埃もかぶってしまうしで、なかなか「これ!」という収納方法が見つからないでいました。

そこで、とくに型崩れが気になるハット専用の収納ケースをつくろうと考えて、帽子(=住人)が入居するアムステルダムのアパート風のボックスを作りました。

それがこの「HAT APARTMENT」です。



ラーメン屋さんが出前をするときに使うオカモチにヒントを得た収納方法で、帽子同士を直接重ねず、それでいて全体のかさを抑えられる仕組み。帽子を取り出す際は棚を持ち上げます。



ちなみにアパートの外観をプリントしていない、まっさらな無地のバージョンも販売しました。アートでコラボレーションしてくださる方をサイトで呼びかけたところ、プロのアーティストの方々がさまざま参加してくださいました。

▲当時寄せていただいた作品群





文房具の無人販売を実験


12月。

オフィスの前の道路に面したところで「文房具の無人販売は成立するか」という実験を1か月ほど行いました。



無人販売はSNSと相性がよく、Twitterなどで存在を知った方々がわざわざ足を運んでくださる人気企画になりました。もちろん、近隣にお住まいの方々にも。

今でも運送会社のドライバーさんが集荷に来られる際に「あの企画またやってくださいよ」とリクエストをいただいたりします。





アパレルショップに導入


年が明けて、2014年。

中目黒の目黒川沿いにあった某アパレルブランドの直営店(現在は閉店)に「HAT APARTMENT」が導入されました。これは嬉しかったですねえ。



もともと文房具から商品開発をスタートして、自分たちのことを「文具メーカー」と規定していたのですが、そもそもは「膝を打つニーポンなアイデア」を形にするのが私たちのミッション。

なにも文房具だけにこだわる必要はないと、このころ痛感しました。トータルで見ると、文房具が多いんですけどね。





雑誌「spoon.」で大特集


雑誌「spoon.」の2014年4月号で、なんと10ページにも渡るハイモジモジの大特集を組んでいただきました。





読めばわかる「壮大な自己紹介」のような特集でしたので、何をやっているのか伝わりにくい自分たちの活動を理解してもらいやすいと思い、親戚中に配りましたね。

何より嬉しかったのは、わが社の看板ネコ「ニーポン」についても、ちゃんとメンバーの一員として誌面で紹介してもらえたことでしょうか。カメラマンにも物怖じせず、きっちりと「看板」の役目をはたしてくれました。

当時の貴重なオフショットを貼っておきますね。



と、4期目後半は「文具」と「アパレル」を行き来しながら、その活動領域を自分たちで狭めることなく広げていった躍進のシーズンとなりました。


御茶の水美術専門学校の非常勤講師に


4月。

東京は御茶の水にある「御茶の水美術専門学校」の非常勤講師に就任しました(授業自体は5月からスタート)。

前年秋に同学校からお声がけがあり、作品展に登壇するゲスト審査員を務めさせていただく機会があったのですが、その後、2014年春からの講師就任を打診されていたのでした。

【参考】特別審査員HI MOJIMOJIさんに密着!



1年目は諸事情あって(後述)、松岡ひとりで授業を受け持ったのですが、翌年からはデザイナーの松田も加わって2人体制に。担当は主にロゴデザインですが、パッケージデザインや卒業制作指導の授業を受け持つこともあります。







そもそも学校の接点が生まれたのは、ある一冊の本がきっかけでした。私たちの商品が紹介された「GRAPHIC CANDY」という本を手にとられたひとりの常勤の先生が、私たちに興味を持ってくださったのです。

新聞や雑誌に取り上げられると商品の売れ行きがアップするという動きがもちろんあるのですが、それ以外にもこうした「人と人とのつながり」も生んでくれるのだと思いました。





「Deng On」ソラカラちゃん発売


同じく4月。

2年前に開業した東京スカイツリーから「Deng On」のスカイツリー版をミュージアムショップ限定で販売しないかと、お声がかかりました。

あのスカイツリーをキーボードの上に立てられる!と興奮し、さまざまなデザインを提出しては先方とすり合わせを行いました。


▲本邦初公開のスカイツリー試作バージョン




ただ、話は二転三転四転五転し、最終的にはスカイツリーのキャラクターである「ソラカラちゃん」のモチーフで商品化されることになりました。





これはこれで好評を博しましたし、とても嬉しかったのですが「キーボードのタワーを立てたい」という野心はまだ消えていません。

セカンドチャンスを、なにとぞ!





NekoTsuboプロジェクトが始動


猫を飼っていると「猫ってこういうポーズするよね」という、飼い主同士の「あるある」があるのですが、そうした猫好きの方々のツボを刺激するような企画ができないか。

ということで、とある企業からお声がかかり、その名も 「NekoTsubo(ねこツボ)」プロジェクトがスタート。

なんとわが社の看板猫「ニーポン」がモデル(というよりモチーフとして)デビューすることになったのです。







現在もTシャツなどが販売されている、ハイモジモジの隠れたヒットブランド「NekoTsubo」。

まずはこの年、オリジナルのテキスタイルとワッペンからスタートしました。当時は生地専門店のオカダヤさんほか各手芸店さんで大々的に販売されました。(現在は完売)

この「NekoTsuboプロジェクト」は会社史上初の試みとなる「在庫を持たないビジネス」で、生産も販売もすべてパートナー企業にお任せ。私たちにはニーポンのキャラクターが使用された対価となる「ライセンス料」が定期的に振り込まれます。

そう、我が愛するニーポンは会社の「看板」であるだけでなく、一時は「稼ぎ頭」として、自分のご飯を自分で稼ぐ猫になったのでした。ほんとうに優秀な子です。





「LIST-IT」が世界デビュー


アメリカの文具ブランド「Knock Knock」さんからメールが届きました。

つらつらと英文で書かれていたのですが(当たり前)、要約すると「LIST-ITのライセンス契約を結びたい」とのことでした。

商品をそのまま海外に輸出するパターンはそれまでもあったのですが、今回は「LIST-IT」のアイデアだけを借り受けて、自己流にアレンジしたい、というリクエストでした。

商談はスムーズに進み、契約書のひな型が先方から送られてきて、弁理士さんに内容を確認してもらったところ「とても良心的な内容」とのことでゴーサイン。契約社会のアメリカ企業と締結するにあたって、どんな落とし穴があるのか不安だったのですが、とても心やさしいメーカーさんでした。

そうして世界デビューしたのが、こちら。





名前が「LIST-IT」から「WRIST NOTES」になりました。商標の関係で「LIST-IT」とするのは難しかったのかもしれません。私たちとしても国内と海外で別モノとしてすみ分けられるので、これはこれでアリでした。

そして写真では伝わりにくいのですが、メモの太さが増し、紙も厚くなっていて、たくましいアメリカン仕様になっています。メモ本体に言葉が印刷されているのも変化したポイントですね。

その後、契約は2年で満了となりましたが「商品ではなくアイデアを譲渡する」という特別な経験となりました。





ハイモジモジ80%宣言


私事ですが、7月に子供が産まれました。

春から非常勤講師として携わることになった御茶美の授業が2人体制じゃなかったのは、デザイナーの松田(兼妻)が身重だったからなのでした。


▲ニーポンは突然の「弟」誕生を警戒




ハイモジモジがリリースしている商品のネーミングはすべて私、松岡が担当しているのですが、わが子の名前を決めるのに6か月もかかりました。「人間の名前をつけるプレッシャー」は商品名の比ではなかったです。

そして、夫婦ふたりで経営しているメーカーに赤子がひとり加わったことで、これまでのようにバリバリ働くことはできなくなりました。そこで「ハイモジモジ80%宣言」を発表し、仕事量を80%程度にセーブする決断をしました。

当時のウェブサイトに掲載していたロゴの色を20%薄くして80%にしていたのですが、この芸の細かさに気づいていた方、いらっしゃいますか?

以降、わが社は「仕事と家庭(=子育て)の両立」という大きなテーマを抱えていきます。





竹中大工道具館限定「Deng On」発売


10月。

仕事量をセーブしながらも、ある限定アイテムをデザインしました。

竹中工務店さんが神戸にオープンした「竹中大工道具館」の館内限定で販売されることになったオリジナルの「Deng On」でした。キーボードにノコギリ、ノミ、カンナを立てられるというシュールな商品です。





子育てでてんやわんやの中、新しい企画を考え、デザインし、販売戦略を練り、という通常営業に取り組むのがなかなか難しかったこの時期。

今回のように、まとまった数の別注品を作って納品(以降の販売は先方にお任せ)というお仕事は、会社的にも家庭的にもたいへんありがたいものでした。





mAAchエキュート神田万世橋でイベント


11月。

東京は秋葉原駅にほど近い「mAAchエキュート神田万世橋」のイベント・スペースで、ある販売イベントが行われました。

旧駅舎を再利用したレンガ造りの粋な建物で、クリスマスに向けた文具や雑貨が並ぶイベント。ハイモジモジもスペースの一角をいただいて、大々的に販売させていただきました。







「猫なんかよんでもこない。」とコラボ


のちに映画化もされた感動のコミックス「猫なんかよんでもこない。」と「Deng On」がコラボレーション。イベント限定で販売されました。

複数のメモが面付けされた1枚のシートからぺりぺりと切り離せる楽しいパッケージで、会場でも好評を博しました。

原作漫画も読ませていただいたのですが、猫を飼っている身として涙が止まりませんでした。







「LIST-IT tough」発売


クリーニング・タグを製造している会社、日本に4つだけってご存知ですか?

そのうちのひとつ、兵庫県は尼崎に拠点を構える共生社さんからお問い合わせのメールが届きました。クリーニング・タグ専用に開発された「耐洗紙」なる特殊な紙があり、これを使って腕に巻くメモ「LIST-IT」の耐水版を作りませんか、と。

実は耐洗紙の存在は紙問屋さんを通じて知っていました。「LIST-IT」を水に濡れても使いたいという看護師さんなどからのリクエストも寄せられていて、ずっと作りたいなと素材を探していた中で見つけたのですが、クリーニング・タグ専用の紙だから仕入れるのは難しいと言われていたのです。

そんな中での、渡りに船。ふたつ返事で快諾し、12月に「LIST-IT tough」としてリリースにこぎつけました。



販売するにあたって、この耐洗紙の強度を実験してみたのですが、ずっと手首に巻いたまま1週間過ごしても破れることはありませんでした。もちろんその間、手洗いをし、お風呂にも入り、幾度となく水に濡れています。

意図的に強く切ろうとしない限り、めったなことでは破れない紙であることが実証でき、自信をもって世に送り出しました。

(現在は完売につき廃番)




▲実際に水に濡らしてみた動画





「TAGGED for Garden」発売


年が明けて、1月。

同じく耐洗紙を使った「TAGGED for Garden」という商品をリリースしました。お花に巻きつけられるメッセージタグで、特許も取得するなど、力の入った「TAGGED」ブランドがこのときデビューしました。





実は夏ごろから耐洗紙を使ったさまざまな実験に取り組んでいました。

「LIST-IT tough」の開発を通じて、耐洗紙のすごさと面白さにすっかり魅了されてしまい、逆にこの紙を使った製品をいっしょに作りませんかと共生社さんに逆提案していたのです。

たとえば傘に取りつける識別タグ(誰の傘か分かるように)なんてものも試作しました。残念ながら商品化には至りませんでしたが。



そんな中での、待望の第1弾商品。

2月にはNHKおはよう日本の人気コーナー「まちかど情報室」でも取り上げられました。





文具祭りに初登壇


文具メーカーや文具が大好きなユーザーさんが3か月に一度集まる「文具祭り」という人気イベントがあります。ずっとその存在は知っていたのですが、なかなか参加する勇気が出ませんでした。

しかし新商品の告知ができるコーナーがあると知り、勇気をふり絞って登壇させていただくことになりました。場所はお台場の「カルチャーカルチャー」でした(現在は渋谷に移転)。



このとき発表したのが、チップのように「ありがとう」や「ごちそうさま」の気持ちを伝えられる小型のメモ「KIMO TIP」。サンキューに引っかけて3月9日に発売を開始しました。



この4年後。

まさかあんなにもネット上で物議を醸すことになってしまうとは、このときは誰も知る由はありませんでした。


ハルモジモジ開催


4月。

オフィスを開放し、春のイベント「ハルモジモジ」を開催しました。お花見ついでにハイモジモジの事務所にも寄ってみてくださいという触れ込みで、桜の見ごろに合わせて実施しました。



その際、「SOUVENIR INOKASIHRA」というブランドもデビュー。「井の頭公園のお土産屋さん」をテーマに、さまざまなグッズを企画、販売しました。



現在は無期限休止中ですが、このときのご縁で「三鷹の森フェスティバル」というイベントには毎年参加させてもらってます。





インテリアライフスタイル展に出展


6月。

東京ビッグサイトで開かれた「インテリアライフスタイル展」に参加しました。家具や雑貨、文具を求めるバイヤーさんが集う場です。

ブースのデザインもすべて手掛け、入念に準備したそのわけは、とあるプロダクトの初プレビューをこの場にぶつけたからでした。



そう、今でも人気の高い「TAGGED MEMO PAD」です。

すでにリリース済みの「TAGGED for Garden」とともに、耐洗紙を活用したステーショナリー・ブランド「TAGGED」として、大々的にお披露目しました。





EXTRA PREVIEWに出展


9月。

かつて新聞の印刷工場だったところをリノベーションした「TABLOID」というイベントスペースが都内にあるのですが、そこで年に2回開催されている「EXTRA PREVIEW」というバイヤー向け展示会に初めて参加しました。





ここでも「TAGGED MEMO PAD」をアピール。

お水を張ったボウルにメモ本体を入れ、耐洗紙の特長を説明しながらバイヤーさんの心をぐいぐいつかんでいきました。



翌週にはまたも「文具祭り」に参加し、こちらでも耐洗紙の素晴らしさと、そこから生まれた製品について存分に語らせていただきました。





「TAGGED MEMO PAD」デビュー


と、発売までのプロモーションをばっちり行って、満を持して「TAGGED MEMO PAD」がデビューしました。9月16日のことでした。



▲デビュー時に公開したムービー




「TAGGED MEMO PAD」は耐洗紙の特長をたっぷり活かしたメモで、水に濡れてもやぶれにくいタフさが一番の売り。加えて片手で握りやすい、くびれたシルエットにもこだわりました。

外に持ち出してラフに扱えるアウトドア仕様の本格的なメモパッドです。


▲片手で握りやすい、くびれたシルエットのメモ



▲ポケットに入れてラフに扱える



▲クリーニング・タグ製造と同じ機械で生産




こうしてクリーニング・タグ製造を専門とする共生社さんとの共同プロジェクトとして、以降、両社を代表するブランドのひとつに成長していきます。

子育てにリソースを割く「80%宣言」をいつごろ取り下げたのかは記憶が残っていないのですが、すでにこの時期、100%の動きを見せていましたね。

「ベンチャー文具メーカー」という言葉が広まったのもこのころで、同じ志を持つメーカー仲間も増えました。彼らとともに百貨店で販売イベントを仕掛けるなど、積極的に活動していました。





「RING-IT」でグッドデザイン賞受賞


10月。

この年のグッドデザイン賞が発表されました。ハイモジモジも2度目の受賞となりました。

といっても今回はプロダクトが受賞したのではなく、他社さんの採用活動の取り組みに指輪の形の付箋「RING-IT」を提供し、その取り組み全体が受賞したというわけです。

モノを提供しただけですので、言わば「おこぼれ受賞」ですね。でも、うれしかったです。

【参考】2015年度グッドデザイン賞受賞:新卒採用 [落ちたら、採用します。]





ワールドビジネスサテライトに出演


同じく10月。

テレビ東京系列の報道番組「ワールドビジネスサテライト」に出演しました。

先方から出演打診の電話をいただいて、翌日かその翌日に急きょ撮影。その数日後には放送されるという強行スケジュールでした。(テレビ業界的には通常運行なのかもですが)

やはり「WBSに出演した」というのは反響が別格で、大々的に告知をしなくとも「テレビ観ましたよ」と声をかけてくれる人がとても多かったです。加えて、放送後はどことなく一目置かれる感がありましたね。人気番組の力ってすごい。



ちなみに、ふだんのデスクはこんなに片づいてはいません。まだ「WORKERS'BOX」もこの世に誕生していませんでしたからね。撮影にあわせて急きょ片づけた「テレビ用」ということでお目こぼしください。





「KIMO TIP」47都道府県版発売


12月。

感謝の気持ちを伝えるメモを47都道府県の方言バージョンで制作しました。

方言の選定にあたっては文献で調査した上で、各県の県庁に協力を仰ぎ、「その表現は正しいかどうか」を問い合わせました。熊本県バージョンにおいては「くまモン」のライセンスを正式に活用するなど、かなり力を入れた商品でした。





全種類をそろえられるよう専用の吊り下げボードを用意し、販売店さんに無償提供。コストもそれなりにかけました。



ただ、売上は期待したほどではありませんでした。

やはり47都道府県分をそろえたところで、それらをすべて仕入れて売り上げが立つお店は限られます。あるとしたら全国から人が集まる東京駅や、主要な都市の限られた店舗くらい。

そのことに販売前は気がつけず、売上が47倍になるという皮算用があだとなった背景には「子育て中にラクをしよう」という魂胆がありました。まったく新しい商品企画を考え、販売にこぎつけるには相応の労力が必要で、手っ取り早く売上を立てて「子育て期をしのごう」とした浅はかな判断がありました。

このとき、一番ダメだったなと思うのは「お客さんとは誰か」を見失っていたことです。

本来のお客さんは、それを買って使ってくださるひとりひとりのユーザーのはずですが、その前に小売店さんや問屋さんを「お客さん」ととらえしまい、ユーザーそっちのけでお店に並びやすい(=種類が豊富で店内の「面」をとれる)商品であることにこだわったからです。

どれだけお店が仕入れてくれても、それを買う人が少なければ意味がありません。本当に求められていたかも分からない商品を47種類も一気投入するという判断は、完全に裏目に出ました。

苦い記憶です。





「TAGGED 7 CUT MEMO」発売


年が明けて、2月。

膝を打つようなアイデア(=ニーポン)を発信すると謳うメーカーですから、やはり独自の新しいアイデアで勝負すべきじゃないかと原点回帰。

そこで発売したのが、7分割できるブロックメモ「TAGGED 7 CUT MEMO」です。







7分割できるブロックで1週間のスケジュールを管理したり、その日のタスクを書き出して、完了したらちぎる使い方を想定。横長のブロックメモであることから、パソコンのモニターとキーボードの間のすき間に置ける点もユニークでした。

「紙博」などのイベントでいつも好評なのですが、価格が値ごろな点も人気のひとつだと思います。というのも、耐洗紙のクリーニング・タグの製造過程で生まれる「端紙」を再利用しているからなんですね。

「使い方」と「作り方」にアイデアを凝らした「TAGGED 7 CUT MEMO」は、ひそかなヒット商品です。





「TAGGED LIFE GEAR」発売


耐洗紙を活用した「TAGGED」ブランドの勢いは止まりません。

今度は「TAGGED MEMO PAD」をさらにアウトドア仕様にした「TAGGED LIFE GEAR」をリリースしました。

「山」と「海」をテーマにしたデザインで、カラビナを通せる穴が空いています。文具というより「ギア」という位置づけで、登山のお供にできるタフなパートナーであることを追求しました。




後に防災グッズに選ばれたこともあるタフなスペック。それ以上に、表紙のデザインが「格好いい」と評価されることが多く、販売イベントでもとても好評です。

実はアイレット(ハトメ)の部分はすべて手作業で行われていて、1冊ずつ人の手で仕上げられているんですね。これが結構たいへんで、その分価格も少し割高なのですが、手に取っていただいて損はないクオリティーなのは間違いありません。





NHKワールド「TOKYO EYE 2020」出演


3月。

国外に向けて放送されているNHKワールド「TOKYO EYE 2020」に出演しました。



日本の文具は面白い、ユーザー同士で集まったり、面白いメーカーもある。そんな切り口で世界に向けて発信されました。国内でも放送され、オンラインでも期間限定で配信されましたので、ご覧になられた方も少なくないかもしれません。

自分たちは「あったらいいな」「自分たちがほしいな」と思うものを形にしてきただけで、紙の加工やデザインが得意だからたまたま文具が多かったのですが、こうして「日本の文具ブーム」に乗ることができたのは創業時から続くラッキーのひとつ。

こうして10年続けてこれたのも、運とタイミングがあったからだなあとしみじみ思います。


創業以来初となるケンカ別れ


7期目に入り、事務所の内装をリニューアルしました。

オフィスの中央にある部屋に共有デスクを置いて仕事をしていたのですが、ここを作業部屋ではなく「商談ルーム」としました。

また、白いクロスが貼られた壁に木の板を貼って、商品を撮影するときや取材を受けるときの「いい背景」になるようDIYしました。


▲賃貸なので現状復帰できる工法で


▲商談用のソファーも思い切って購入




と、ポジティブなリノベーションに見えますが、事の発端はこれでした。



ふたりで大きなデスクを共有していたとき、複数のプロジェクトを多く抱える弊社デザイナー松田の「資料の散らかしっぷり」が限界値を超えまして、創業以来初めて仕事部屋を分けることになりました。

要するに、ケンカ別れです。

そして、わたし松岡の方はというと、これまでずっと我慢していた「個室への欲求」が大爆発。自室をこしらえ、立ったまま仕事ができるスタンディング・デスクを導入し、壁一面にパンチングボードを貼って、好きな道具に囲まれるという夢のような空間を実現しました。



個人的には満足しましたが、問題が発生しました。

たったふたりしかいないメーカーにとって大事なのは「何気ない雑談」です。ふと思いついたことを、その勢いのまま相手に投げてみて、その反応を見て次のアイデアを膨らます、そういうクリエイティブなやりとりが、部屋が分かれてしまったことで消滅してしまったのです。

そこで「これはいかん!」ということで、解決策としてあるモノを作り始めます。ただし、それが結実するのは1年以上も先の話。





販売イベントに積極参加


昨シーズンに発表した「TAGGED」シリーズが好調だったのですが、それ以降はどうも新しいアイデアが湧かず、形になるものがほとんどありませんでした。私事ですが子供が2歳のイヤイヤ期に突入し、子育てに疲れていたのもあります。

そんな中でも売上げを立てていかなければ会社は続けられません。そこで、この時期は積極的に販売イベントに参加することにしました。



「イベント」というのは短期集中的なお祭りですので、開催する小売店さん側は商品を仕入れずに「委託」という形を取ることがほとんどです。つまり売れた分だけ計上し、残った分は返品するという形式です。

その分、通常の仕入れよりは「掛け率」が高く、商品ひとつあたりの利幅は上がるのですが、準備期間も含めると決して割のいい仕事とは言えません。

とはいえイベントはお店にとっても目玉の企画。フロア内の一等地を占有することができ、これまで自分たちの商品と接点のなかったお客さんと新たに出会える可能性も高まります。

と、わりきって、各地への出店を決めました。自分たちで現場に立つこともあれば、商品だけ出品というパターンもありました。とにかく各地で種を撒く、そういう時期でした。





専門学校の授業風景がテレビに


7月。

テレビ東京系列の情報番組「モーニングチャージ!」の取材を受けました。

スタッフさんが事務所まで来られ、普段の様子をテレビカメラに収めていただきました。仕事部屋がふたつに分かれていたことで、かえってテレビ映りとしてはすっきりして見えたかもしれません。結果オーライ。





さらに、2014年から非常勤講師として勤務している御茶美での授業風景も初めて撮影されることになりました。

学校の主役はあくまで生徒たちですので、教える側の都合で取材カメラが入るのはなんだか面映ゆいところがあったのですが、理解のある生徒たちに恵まれてよかったです...。





「TAGGED」がグッドデザイン賞を受賞


10月にはうれしいニュースがありました。

クリーニング・タグを製造する共生社さんと共同で始めた「TAGGED」プロジェクト、そこで生まれた「TAGGED MEMO PAD」シリーズが2016年度グッドデザイン賞を受賞しました。

六本木で開催された受賞祝賀会にも招待されました。





2012年に「Deng On」で受賞したとき以上に嬉しかったです。というのも、この「TAGGED」はチーム戦の勝利だったから。他社さんと力を合わせて結実させた商品が評価され、感慨もひとしおでした。

このような機会をいただけた共生社さんに、心から感謝しています。もちろん「TAGGED」シリーズを愛用してくださっているみなさまにも。


▲共生社のみなさんと記念撮影





「HAT APARTMENT」NY版リリース


11月。

帽子収納に特化したケース「HAT APARTMENT」の新バージョン「Black」をリリースしました。






以前は「アムステルダムのアパート」をイメージした白い外観だったのですが、今回はブラックを基調に「NY(ブルックリン)のアパート」をイメージしました。

その後、全数を完売し、惜しくも廃番となってしまったのですが、今でも再販を望む声をいただく人気商品です。





「NekoTsubo」が絶好調


わが社の看板猫「ニーポン」をモチーフにしたアートワークを提供している「NekoTsubo」シリーズが絶好調。中でもTシャツが大人気で、何万枚という数が売れていました。



この「NekoTsubo」はライセンス・ビジネスですので「何月にいくつ売れた」という報告を提携している会社さんから定期的にもらうのですが、どれだけ数字を見ても、正直なところ「売れてる実感」がありませんでした。

というのも自社企画の商品と違って「自分たちの手で出荷していない」ため、スケール感が想像しにくかったのです。



ところが、街中で「NekoTeubo」のTシャツを着ている人とすれ違うことが増え、だんだん実感が湧いてきました。

おそらく多くの方にハイモジモジが関わっていることをほとんど気づかれることなく、ただただ「かわいい猫のTシャツ」が支持されて、ひそかに街中に浸透していたようです。

年が明けて3月には、LINEスタンプにもなりました。



ふり返ってみると、2016年は少々スランプだったと言えるかもしれません。10年も続けていれば、そういうときもあります。山あり谷ありです。


雑誌「ねこ」でニーポン大特集


4月。

ネコ・パブリッシング社の雑誌「ねこ」のインタビューを受け、掲載号が発売されました。



猫にまつわるグッズを作っているクリエイターということで大きく取り上げていただいたのですが、とにかくその名も「ねこ」という雑誌ですので、主役は猫、猫、猫。

わが社の看板猫である「ニーポン」がモデルになって、誌面にどーんと載りました。




▲大写しするとちょっと問題なので小さめに




これまでハイモジモジとしてメディアに取り上げられることは幾度となくあったのですが、正直、ニーポンのことを紹介してもらえるのが一番うれしいですね。看板猫であるどころか、すっかり稼ぎ頭で、わが社のエースですから。

それに飼っている猫を「かわいい」と言ってもらえるのが猫飼いにとって何よりうれしいことです。


▲グラビア撮影時の風景





銀座の蔦屋でGINZAとコラボ


マガジンハウス社の雑誌「GINZA」で、商品がいくつか取り上げられました。

「お仕事がんばる!GINZAガール」という特集だったのですが、お仕事に役立ちそうな指輪のかたちの付箋「RING-IT」と、スケジュール管理に長けたブロックメモ「TAGGED 7 CUT MEMO」が紹介されました。



ここからが面白いのですが、この時期、銀座に新しい商業施設「GINZA SIX」がオープン。その中にテナントインしている銀座蔦屋書店が、雑誌「GINZA」とコラボレーション。誌面で紹介された商品が雑誌とともに販売されました。

もう、うれしくって、すぐに現地を見に行きましたよね。









GOOD DESIGN STOREで販売開始


このころ、東京・丸の内にある商業施設「KITTE」の中に新しいお店「GOOD DESIGN STORE」がオープンしました。グッドデザイン賞を受賞した商品だけが集められた特別なお店です。

そして前年に同賞を受賞していた「TAGGED MEMO PAD」シリーズが店頭で取り扱われることになりました。







ある意味、殿堂入りのようなもので、誇らしい気持ちになりましたね。

ちなみにお店には文具のほかにも生活雑貨や家電など、魅力的な受賞作品が所狭しと並んでいて、買い始めたらお金がいくらあっても足りません。





「PAPER happy NOVELTY」開設


ハイモジモジがこれまで企画した商品に名入れをしたり、オリジナル・デザインで別注品を作れるサービス「PAPER happy NOVELTY」を開始しました。



以前から「BIZ MOJIMOJI」という名で、法人向けのノベルティー受付専用サイトを開いていたのですが、より紙モノに特化したサービスとして装いも新たにリニューアル。ここだけのオリジナル・プロダクトも用意して、満を持してスタートしました。

が、これはうまくいきませんでした。

意図的に「ハイモジモジ色」を薄めて、ノベルティーとして重宝するプロダクトだと伝えることに注力したのですが、どうも作り手の顔が見えなくなってしまったというか、血の通っていないサービスになってしまったことが失敗の原因かもしれません。

歴史の闇に葬ってもいい黒歴史ではありますが、今後の教訓としてここに記しておきます。





新製品の工場見学へ


7月。

とある新製品を量産化する前に、生産を委託している工場に見学に行きました。自分たちがデザインした商品がどういう工程で作られるのか、理解を深めるためにも、その目できっちり見ておきたいと思ったのです。





ふだんは関係者しか入れない、厳重に管理されたところも見学させていただき、とても貴重な機会になりました。





「WORKERS'BOX」がついに完成



そして8月。

みなさん、覚えておいででしょうか。社内でケンカ別れして、仕事部屋をふたつに分けてしまった7期目の事件を。

この出来事をきっかけに「書類整理」の大切さを痛感した弊社デザイナー松田が「お片づけが苦手な自分でも使える書類整理用のファイル」を追求し、足かけ1年の試行錯誤をくり返した結果、ようやく結実したのがそう、「WORKERS'BOX」という商品です。

ネットでもよく読まれた「開発エピソード」に事の経緯をくわしく書いていますので、こちらもよろしければお読みください。

【参考】なぜモノは片づかないのか / 「WORKERS'BOX」開発秘話




さて、商品はできあがりました。

「WORKERS'BOX」は私たちにとって転換点でした。というのも「ネット販売に注力することにしたから」です。

これまでのやり方といえば、まず商品を作り、プレスリリースを発信し、小売店さんや問屋さんに商品資料を送り、オーダーを受けて店頭に並べていただくのが当たり前でした。

しかし「お客さんとダイレクトにつながりたい」という機運が自分たちの中で高まっていたこのころ。ECサービスの充実やSNSの普及という時代的な背景も後押しして「ネット販売メインでもやっていけるのではないか」と考えていたんですね。

というのも、これまで色んなプロダクトを作ってきましたが、いずれも「説明が要るもの」ばかり。「これは、こういう商品です」と説明するところから始めないと伝わりにくいものばかり作ってきたので、店頭にただ置いているだけでは「真意が伝っていないのでは」という懸念がずっとあったのです。

その点、ネットは「店舗のスペース」や「誌面の都合」といった制約がなく、必要な情報をすべて掲載することができます。なのでちゃんと理解して、納得してもらった上で、その先の購入ボタンを押してもらう流れを取り入れてみようと考えました。





バズって1日7,000冊を販売


まずは会社サイトに特設ページを設け、先行予約を受けつけたところ、さっそく1,000冊の注文が入りました。幸先のいいスタートを切りましたが、もともと単価が低い商品なので、利幅もかなり薄め。もっともっと売らないとビジネスになりません。

そこでTwitterに力を入れることにしました。

たっぷり語った「開発エピソード」をサイトに載せていましたから、アクセスが増えれば比例して購入してくださる方も増えるはず。その入口を作りたい。そうして、代表松岡の個人アカウントでこんなツイートをしました。







4枚まで画像が貼れるTwitterの特性をいかして、わかりやすい4コマ漫画をアップしたところ、これがいわゆる「バズ」につながり、当時16,000リツイートを記録。

その影響でサイトへのアクセスもうなぎのぼり。なんと「WORKERS'BOX」が1日で7,000冊も売れる結果につながりました。

ホームランではなくこつこつヒットを積み上げるような、派手さはないけど気づけばずっと売れている、そんな売れ方を想定していたのですが、まさかの特大ホームランになってしまったのでした。





出荷作業を外部に委託


その後もオーダーが入り続け、とうとう在庫スペースと出荷作業がパンクしました。

創業したばかりの2010年に「Deng On」をリリースし、毎日出荷ばかりしていたために、新商品の開発に割ける時間をまったく確保できなかった苦い思い出がよみがえります。

そこで「出荷作業の外部化」を決断。これまで自分たちの手でひとつひとつの商品を検品、発送してきたのですが、ついに外部に委託することにしました。


▲当時、パンクしていた在庫スペース




外部の業者と言いますか、実態は松岡の母です。

手先の器用さと仕事の丁寧さには定評のある母が出荷のすべてを担ってくれるという強力なバックアップ体制。個人的には母だけに「ハハモジモジ」と呼んでいます。家庭内手工業ここに極まれりですね。





トークイベント「どう食う会議」開催


年が明けて、2018年2月。

このころ、自分たちが企画した商品がSNSを通じて大きな反響を呼び、これからの生き方、働き方がガラッと変わる「時代の潮目」を感じたクリエイター仲間が集まりました。

最近、自分たちの身に起きたことを報告し、これから「どう食っていくか」を会議形式で話し合う、そんなトークイベントを開催したのです。



Twitterでバズったのは自分だけではなかったこと、似たような経験をした仲間がほかにもいたことがとてもうれしく、トークは白熱。このイベントは翌年も開催されました。

当時の書き起こしがありますので、こちらも読んでみてください。モノづくりをしている方、これからしたいと思っている方に、たくさんのヒントがあると思います。


【参考】僕たちはこれからどう食っていくか(イベント書き起こし)



告白しますが、「WORKERS'BOX」のヒットがなければハイモジモジはどうなっていたか分かりません。

未来の見えない手探り状態の中、ぎりぎりつかみとった起死回生の逆転劇。精神的にタフでなければ、会社というのは続けられませんね。


「WORKERS'BOX STAND」発売


4月。

すっかりハイモジモジの主力商品となっていた「WORKERS'BOX」を5冊ずつまとめられる「STAND」をリリースしました。

ブックエンドのようにデスクの上に立てられるのも特長で、「WORKERS'BOX」をさっと取り出せるよう、手の届くところに置いておけます。

ひとつの商品から派生して色違いや形違いを作るケースはこれまでも何度もありましたが、ひとつの商品を軸にして、その機能を拡張していく水平展開を試みたのはこの「STAND」が初めてかもしれません。





「紙博 in 東京」に初出店


6月。

東京は浅草で開催された人気イベント「紙博」に初出店しました。

前年の第1回にも誘われていたのですが、お返事するのを忘れていたらブースがすべて埋まってしまっていたという苦い思い出をばねに、第2回から本格参戦。

まわりのメーカーさんや作り手さんがカワイイ紙モノ文具をずらりと並べる中、インダストリアルな雰囲気の「WORKERS'BOX」シリーズのみで勝負。ブースの作り方からして「まわりから浮いてるな」と思いつつも、お客さんの温かさに包まれました。





以降、紙博と名のつくイベントには連続フル出場しています。





「WORKERS'BOX MINI」を発売


先の紙博では「WORKERS'BOX」を名刺サイズにデフォルメした「MINI」を先行販売しました。

販売イベントというのは、非日常のお祭り。年にそう何度あるわけではない特別な機会ですから「先行販売」や「限定販売」が好まれます。

自分たちとしても「WORKERS'BOX」のような少々かさばる箱だけでなく、気軽に持ち帰ることのできる「小ぶりな商品」も提供したいと考えて、この「MINI」を企画しました。



ちなみに発売当初はイエローのパッケージで販売していました。

その後シルバーのパッケージに統一しましたが、これはこれで気に入っていました。イエローを手に取られた方、今ではレアものですよ。





「紙博 in 京都」に出店


7月。

東京に続いて京都でも開催された「紙博」に出店しました。

もともと主催の手紙社さんが手がけるイベントは「東京蚤の市」をはじめ、集客力がものすごいのですが、紙博も圧倒されるほど。

どのくらいすごいかと言うと、開催当日にスタッフが現地入りするより早く、多くのお客さんが列をなしてお待ちになっているくらい。数量限定モノを販売しているブースには、開場直後からドドドドド!っと大勢の方が走って向かわれます。

うちはまだ限定モノを用意したことがないので味わったことがないのですが、開始0分からレジ待ちのお客さんであふれる経験、一度はしてみたいものです。

▲「紙博 in 京都」に設置された撮影スポット





「WORKERS'BOX Set Up Service」を開始


「WORKERS'BOX」は「組立前」の状態で販売をスタートし、ユーザー自身に組み立てていただく「組立文具」と位置づけているのですが、中には「組み立て方が難しい」という声もちらほら届き始めていました。

もちろん説明書は付属していますし、解説動画もあります。ハサミもノリも使わない、ただ折り込んでいくだけの簡単な作りではあるのですが、そうはいっても紙を折るときの力加減には個人差があるわけでして。難しいと感じる方も(体感では15%くらいですが)いらっしゃるようでした。



そこで「あらかじめ組み立てた状態」での販売を試みることにしました。

「Set Up Service」と名づけて試験的に始めてみたところ、これが大好評。組み立て工賃を乗せているため、1冊あたりの値段は少し上がるのですが、それでも「組立済のほうがいい」という方がずいぶんいらっしゃいました。

その後は「Service」と銘打つことはやめ、値段の異なる「組立前」と「組立済」をいっしょに販売しています。比率で言えば、やや「組立前」の方が多いくらいですが、ほとんど同じくらいの数を購入していただいています。





「WORKERS'BOX」1周年のバンドプレゼント


書類を整理するためのボックスでありながら、自由に外にも持ち出せる頑丈さもウリの「WORKER'BOX」。中の書類が飛び出さないよう、安心して持ち歩けるためのグッズとして「オリジナル・ゴムバンド」を開発しました。



そこで9月19日の発売1周年を記念して、SNSで「WORKERS'BOX」のことを投稿してくださった方にプレゼントすることにしました。

当時は数量限定で生産したのですが、需要があるようでしたらまた作りたい気持ちはあります。(個人的にも重宝してます)





「紙博 in 福岡」に出店


12月。

福岡で開催された紙博に出店しました。子連れで羽田から飛行機に乗り、半分家族旅行を兼ねた旅路でした。

全国をまわる大衆演劇の役者さん家族って、こういう感じなのかなあと思ったりもしましたね。

とにかく「いろんなところに旅行を兼ねていける」のがイベント参加の面白いところ。ふだんなかなか会えないユーザーさんにも会えますしね。





「HI MOJIMOJI STORE」オープン


年が明けて1月。

ECサイトが2分で作れてしまう便利なサービス「STORES」を利用して、直販サイト「HI MOJIMOJI STORE」をオープンしました。

それまではショッピングカートのプログラムを自分でカスタムしたり、他社のサービスも使っていたのですが、その使い勝手のシンプルさに魅了され、「STORES」を利用したお店にリニューアルしたのです。

当時は会社サイトとECサイトがごちゃ混ぜになっていて、見るのも管理するのもややこしくなっていました。そこで情報と役割を整理して、両者をきっぱり分ける目的がありました。





「WORKERS'BOX」ブランドサイトオープン


「WORKERS'BOX」のブランドサイトも新たに立ち上げました。

それまではハイモジモジの会社サイトの中に情報を盛り込んでいたのですが、発信する内容が「WORKERS'BOX」メインになってしまい、なんだかよく分からないサイトになってしまっていました。

そこで「WORKERS'BOX」は独立したブランドと位置づけて、別枠で情報発信していくことにしました。

【参考】WORKERS'BOX ブランドサイト





「LIST-IT」が廃番に


始まるものもあれば、終わるものもあります。

2010年の創業とともに発売したデビュー作、腕に巻けるメモ「LIST-IT」が完売し、これをもって販売を終了しました。(まだどこかの店舗に残っていたらレアものです)

会社を設立する前から趣味で作ったものだったので、まさか本当に商品化して、その後10年近くも販売できるとは夢にも思いませんでしたね。

Twitterでは「LIST-IT」にまつわる思い出も綴りました。







「どう食う会議2019」を開催


3月。

STORESさんとのご縁をきっかけに、社屋のイベントスペースをお借りして「僕たちはこれからどう食っていくか会議2019」を開催しました。

前回と同じメンバーが集い、「この1年も生き延びたね」と生存を確認し合いました。


9周年の似顔絵


4月28日、創業9周年を迎えました。

そこで普段、教鞭をとっている御茶の水美術専門学校の生徒が似顔絵を描いてくれました。

こういう素敵なイラストをさらっと描けてしまう生徒たちを尊敬してます。






ブランドの伝え方で大失敗


5月。

noteとSTORESの共催で開かれたトークイベント「これからのブランドの『伝え方』」に登壇。

SNSとの向き合い方や「ブランドの発信」について、思うところを人様の前でお話させてもらいました。





ところが、そのわずか1週間後。Twitterの個人アカウントで「誤った伝え方」をしてしまい、派手に炎上してしまいました。伝え方に正解はなくても、不正解はあったようです。

関係各所にご迷惑をおかけしてしまい、しばらくは平謝りの日々でした。反省。





メーカー仲間と独自展示会


6月。

主に文房具まわりのメーカー仲間で声をかけあって、独自に「FRAT」という展示会を立ち上げました。



同業他社というと一般的には「ライバル」と見なされがちですが、ここに集ったメンバーは志を同じくし、協力し合う仲間。ただ自分たちの商品をアピールするだけでなく、メーカー同士で得意先を紹介し合ったり、情報交換したりする場にもなりました。

会場では飲食も提供し、パーティー形式にしたのも楽しかったです。

ハイモジモジは一出展者としてだけでなく、コンセプト立案や会場の装飾、販促物作成などのクリエイティブ面でも携わらせてもらいました。

ちなみに「FRAT」という名前はメーカーとバイヤーのフラットな関係を築き、ふらっと足を運べる展示会にしたい、そんな思いでネーミングしました。





「WORKERS'TAPE」発売


7月。

「紙博 in 東京」の出店にあわせて、新商品「WORKERS'TAPE」を先行販売しました。



これは封筒の中に書類が「在中」していることを伝えられるテープ。ラインナップは「請求書在中」「納品書在中」「領収書在中」と、後日追加した「重要書類」の4種類で、味気ない事務的な封筒がスタイリッシュになります。

もともとハンコを取り出し、スタンプ台でインクを付け、封筒に捺し、乾くのを待ち、待ちきれなければティッシュでふき取る一連の作業が煩わしいと思ってまして。そこで「テープで貼っちゃえば簡単なのでは?」と気づいて、商品化することにしました。

「面倒くさいことを簡単に」という考え方は、私たちのモノづくりの根幹かもしれません。(なにせふたりとも性格がものぐさなもので)





国内イベントで試行錯誤



秋になると、イベントが続きました。

まずは自主企画の販売イベント「出張!ワーカーズボックス」。



「WORKERS'BOX」を広めるにはオフィスワーカーが集まっている場所に出向くのが手っ取り早いと考えて、新宿のとあるオフィスビルの1Fロビーにポップアップ・ストアを展開してみました。

が、売上はまったく奮いませんでした。他の業務と重なってあまり手をかけられず、告知が中途半端だったのがダメでしたね。

とはいえ、この経験から見えたこともありました。取り組み自体は赤字でしたが、とにかくトライあるのみです。

一方、福岡の地で臨んだ「紙博 in 福岡 vol.2」は絶好調でした。



イベント自体の来場者数が前回の福岡開催よりも控えめだった中で、ハイモジモジのブース自体は売上げを大きく伸ばすことができました。

何を、いくらで販売し、どう声をかければお客さんに響くのか。だんだんコツがつかめてきたのかもしれません。

というより、モノを売るのがどんどん楽しくなってきたのだと思います。作るのも、売るのも、どちらも同じくらい楽しいです。





台湾、香港、また台湾へ


さらには海外にも進出。

まずは6月に開催した「FRAT」のメンバーで、台湾に行きました。「FRAT 1.5」と名づけ、現地バイヤー向けの商談会と一般ユーザー向けの販売を兼ねた2週間のイベントを開催しました。

個人的に台湾に行くのは初めてだったのですが、いろんな学びがありましたね。日本製のステーショナリーに対する関心の高さがうかがえました。



その2週間後には、香港の展示会「Asian Stationery Show in Hong Kong」へ。

このころ政情不安が高まっており、会場の近くでデモ隊と香港警察が衝突する可能性もあって、実は出展するかどうかをためらっていました。

そんな中でも世界各国から来られたバイヤーさんと商談することができ、やっぱり行って良かったなと思いました。改めて香港が「国際都市」であることを実感できましたしね。でも、もうちょっと英語を勉強したいと思います...。



そしてそのまた2週間後、ふたたび台湾へ。

手紙社さんが主催する「紙博」が東京、京都、福岡に続いて、初めて台湾に進出するとあって、二つ返事で参加させてもらいました。

2日間の開催でしたが、初日は夕方くらいまで入場規制がかかるほどの人気で、ものすごい熱気でしたね。



あまり台湾の方に響かないだろうと思われた「WORKERS'BOX」が早々に完売した一方で、人気が出るだろうと見越して多めに持ち込んだ商品が今ひとつ奮わなかったりと、日本とは異なる感触がありました。

海外での挑戦は一筋縄ではいきませんが、やっぱり刺激的です。





ガンダム版オリジナルメモ発売


時を同じくして、兵庫県立美術館で「富野由悠季の世界」展が始まりました。

言わずと知れたガンダムの生みの親こと富野監督の作品展で、神戸のあとは島根、青森、富山、静岡へと巡回していきます。

このイベント限定で販売される「TAGGED MEMO PAD」のザク版、ターンA版をデザインしました。耐洗紙とモビルスーツには「タフ」な共通点があるということで、見た目だけでなく機能面での本格コラボ商品。

おかげさまでコアなガンダムファンの方々にも大好評でした。





「WORKERS'BOX WIDE」発売


12月。

新商品「WORKERS'BOX WIDE」を発表しました。



これまでの2cm幅から3倍近くに厚みを増して、書類も小物もたくさん入れられるようにした大容量タイプです。

直販サイトでは予約の受付を開始して、お届けが少し先になる代わりにおトクに手に入る「早割」を導入するなど、クラウドファンディング的な試みにもトライしました。

発表後の反響を見ていると、このサイズが求められていたのだと痛感しましたね。もっと早く発売すればよかったと思ったくらいです。





アフターコロナの幕開け


年が開けて、2020年。新型コロナウィルスが発生し、世界は一変しました。

私たちも2月に予定していたトークイベント「僕たちはこれからどう食っていくか会議2020」の中止を決定。3月に初の東北開催になるはずだった「紙博 in 仙台」や4月の「紙博 in 東京」まで開催中止に追い込まれました。

すべての予定が狂い、価値観をゆさぶられ、自宅待機を余儀なくされるもどかしい日々。

その間、私はネームデザイナー を名乗り始め、ネーミングを専門で請け負う事業を開始するなど新しい試みも始めましたが、私たちが「これからどう食っていくか」はまだ手探り状態です。

この10年の経験なんて、かえって足かせになるかもしれない新時代。11期目も未来を見据えて悔いなく、そして何より楽しく活動していきたいと思います。もちろん「ニーポン」も忘れずに。

これからもよかったら、ハイモジモジを応援してくださいね。




※本記事は2020年4月2日から27日にかけて note で公開されたものを加筆訂正したものです。

2020.6.3更新